「福祉と性」第2部_教えて、あなたの「性」の教科書。正しさより大切な学びの視点。

第2部_教えて、あなたの「性」の教科書。正しさより大切な学びの視点
第1部では、「性」を「生きること」そのものとして捉え、すべての人に共通するテーマであることを書かせていただきました。
では、このかけがえのない「性」について、私たちはどのように学んできたのでしょうか。
近年、子どもや若年者を取り巻く性教育の情報は、絵本、授業、動画コンテンツなど、非常に多様化しています。単に身体の仕組みを教えるだけでなく、人権や多様性、リレーションシップ(人間関係)といった、より広い視点から「性」を伝える試みが進んでいます。
しかし、この「性教育」という言葉を聞いたとき、皆さんの頭に浮かぶのは、ご自身が子どもの頃に受けた断片的で戸惑いのあった情報かもしれません。
あるいは、その「学び」自体が、タブー視されたり、家庭や社会で避けられてきた過去があるかもしれません。
そして、障害分野における性教育は、さらに複雑な状況にあるのではないでしょうか。
障害のある方が持つ性の衝動や欲求に対して、どのように伝え、どのように支援していくべきか。情報を遮断するわけにはいきませんが、安易な情報提供が二次的な困難を生む可能性も否定できません。
「正しく知ることは大事」と言われますが、「正しさ」とは?
それは、知識の羅列ではなく、自分自身を大切にし、他者を尊重することを学ぶことではないだろうか。
私たちは、性について「教わった」というよりは、それぞれの人生の中で、もがきながら「出会ってきた」のかもしれません。
「性教育」という言葉を聞いたとき、 私の頭の中には、少し複雑な回路が回り始めます。
学校の保健体育で教わる「知識」としての性。 生殖の仕組みやリスクを回避するための客観的なデータ。 それらは、命を守るための「合理的な判断材料」として、確かに不可欠なものです。
でも、私たちが実際に人生の荒波の中で「学ぶ」性は、 もっとあいまいで、個人的で、割り切れないものかもしれません。
ふと、自分の20代の頃を振り返ってみることがあります。 理性ではコントロールしきれない葛藤や、 今思えば「もっと別の形があったのではないか」という失敗。 誰にも相談できず、一人で深夜に情報を探し求めたあの頃の感覚。
そうした不器用な試行錯誤を経て、 私たちは自分なりの「性の価値観」を、 パズルのように少しずつ組み立ててきたのではないでしょうか。
言葉にならない「モヤモヤ」と、支援の視点
特別支援学校などの現場を、客観的に、それでいて静かに見つめていると、 言葉にできない強いイライラや衝動を抱えた子どもたちに出会います。
その背景に「性」が隠れている可能性について、 私たちはどれだけ冷静に、多角的な視点を持てているでしょうか。
思春期の体や心の変化。 自分でも正体のわからない「モヤモヤ」。 もし、自分が困っていることを「困っている」と言語化できなかったとしたら。 あるいは、その衝動が「性」と結びついていることさえ、本人も気づいていなかったとしたら。
知識を自分に合った形で獲得できていない状況では、 原因も理由もわからず、自分をどう扱えばいいのか途方に暮れてしまいます。 それを周囲がただ「問題行動」として分析し、処理してしまうのは、 一人の人間としての尊厳という観点から見ても、少し寂しいことのように思えるのです。
「正しさ」による禁止の限界
福祉の現場では、日々、切実な現実に直面します。
「動画で観たから」とその情報の断片をなぞるように行為に及んだり、 避妊の概念がないまま、性交渉こそが愛情のすべてだと信じ込んでしまったり。 衝動をうまく処理できず、本人も周囲も、どう動けばいいのかわからなくなる状況。
こうしたとき、 「それは間違いだ」「ダメだ」と論理的に否定し、禁止することは簡単です。 しかし、その言動を力技でなくそうとすることが、 果たしてその人の将来の「安心感」や「自己肯定感」に繋がるのでしょうか。
今の日本を見渡すと、2024年4月からは事業者による「合理的配慮の提供」が義務化され、 障がいのある一人ひとりのニーズに応じたきめ細やかな配慮が求められる時代になりました。 性に関する情報の提供や、コミュニケーションの工夫も、 その「配慮」の大切な一部であるはずです。
専門性と、日々の「調和」

最近では、包括的性教育を広める団体や、 障がいのある方の性を専門的に扱うプロフェッショナルたちが少しずつ増えています。 2024年6月には、国(厚生労働省・こども家庭庁)からも、 障がいのある方の結婚や出産、子育てを支援するための具体的な通知が出されました。
私自身、こうした専門的な活動を知ったとき、 「あの方々に頼れば、きっと正しい解決策が見つかる」と、 どこか自分の役割を論理的に切り分けようとしていた部分がありました。
でも、それだけで良いのでしょうか。
もちろん、専門家の知見は非常に重要です。 実際に、知的障がいのある方向けに、分かりやすい言葉やイラストを用いた 包括的な性教育プログラムを導入している施設も出てきています。
けれど、その専門性と同じくらい大切なのは、 日々の暮らしを共にし、その人のわずかな変化を一番近くで見ている私たちの存在ではないでしょうか。
プロ任せにしない、私たちの「問い」

完璧な答えを用意しなくてもいい。
ただ、今までよりも少しだけオープンに、 「あなたの性」という生身のテーマについて、 同じ目線で語り合える時間を、日々の関わりの中に混ぜていくこと。
私たちは、性教育の専門家ではないかもしれません。 でも、目の前の人の「性」を、切り離せない大切な「生」の一部として、 一緒に悩み、迷い、目を向け続けることはできるはずです。
「性交渉=愛情の深さ」という思い込みにどう向き合うか。 「動画の情報」だけで動いてしまう危うさに、どう言葉を添えるか。 それらは教科書に載っている定型文を読み上げるだけでは、決して届きません。
その「一緒に考える」というプロセス自体が、 誰にも否定されない安心感を育む、一番の「教科書」になるのではないか……。 私は今、そんなふうに考えています。
正しさの押し付けではなく、 その人が自分自身を大切に思えるための学び。 そんな場を、皆さんと一緒に作っていけたら嬉しいです。
タイトル:「福祉と性」:問い続ける私たちが、出会う場所
ブログ「福祉と性」を読んでくださった皆さんへ。
一人で考え続けてきた「性」と「生」の問いを、一緒に分かち合いませんか?
答えが出なくても、心で語り合う時間は、きっとあなたの心に新しい光を灯してくれるはず。
専門的な知識は必要ありません。あなたの身の回りでの小さな気づきや、率直な疑問、想いを持ち寄り、温かい対話の輪を広げませんか。
- 日時: 2026年2月14日(土)09:30~12:00
- 場所: 社会福祉法人蒼天 みんなの学校いなしき
- 参加方法:下記URLよりお申込みください。※参加日は「2026年2月14日」を入力してください。
皆さまとの「つながり」を楽しみにしています。
「みんなの教室」連動企画オープンダイアローグ参加申込フォーム
▶︎ https://forms.gle/mB6YDxaxnA64jST88
「みんなの教室」連動企画オープンダイアローグとは
この企画は、参加者全員で対話をつむぐことを大切にする話し合いの場です。
・一方的な講演ではありません。 専門的な知識は必要なく、誰もが安心して発言できる雰囲気づくりを重視します。
・趣旨: 答えを出すことではなく、それぞれの日常や視点を持ち寄り、テーマについて深く考え、分かち合うことです。
・目的: 対話を通じて、お互いの存在やつながりが、やがて誰もが安心して生きられる“やさしい世界”を育む力となることを目指します。
あなたの率直な想いや疑問を共有し、新しい気づきを得る時間です。








